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エイプリルフール。 [雑想]


今日は4月1日。
いわゆる「エイプリルフール」の日ですね。

この日だけは大っぴらに嘘をついていい、ということになっていますが。

先日たまたま古い雑誌を見ていたら、春の行事とその由来とかが紹介されていました。

全然知らなかったんですが、エイプリルフールにもちゃんとした意味があったんですね。

 「フランスでは、新年を4月1日としてお祝いをしていましたが、1月1日を新年とする
  グレゴリオ暦を採用することになり、反発した人々が4月1日を「嘘の新年」として、
  馬鹿騒ぎを始めたことに由来する」

ところで、「ヴァレンタインデー」にもこんな由来が書いてありました。

 「ローマ皇帝が出した、恋愛による結婚禁止令。それに違反した男女を救うために
  殉死した司祭をたたえ、記念して設けられた」

どちらもまあ、あくまでも「一説」であり、確証はないようですが。

ただ、歴史的には庶民はいつも抑圧されていて、馬鹿騒ぎはそこから逃れるための
 ひとつの手段だったのではないでしょうか。
もちろん、それは一時しのぎ的なこともあるでしょうし、時間とともに形骸化してしまう
 ことだって多々あるでしょう。

それでも、馬鹿騒ぎにはいつだってささやかな“抵抗運動”の側面があったはずだと
 思います。


今の日本人は、すっかり“抗う力”を失ってしまいました。

「平和ボケ」とかよく言われますが、問題なのは「自由ボケ」。
抗うことは、自由を得るための最低条件です。
誰かが与えてくれるものではないし、むしろ他人からは抑圧されることの方が多いの
 です。

そのことに気付かず、平気で自分を棄てて“飼い馴らされる”道を選んでしまうのは、
 「自由ボケ」に他なりません。
参照⇒飼い馴らす(される)ということ その1。

今は「お花見」の季節ですが、これもすっかり鬱憤晴らしのツールと化してしまいまし
 た。
もっとも、晴らすどころかもっと溜めているようにしか思えませんけど。
自分を縛り付けているものからの解放どころか、益々そこに従属して(させられて)い
 ます。

「お花見に行くな」とは言いませんが、それとは別にちゃんと「自分の馬鹿騒ぎ」を取り
 戻すべきです。

お上や世間に楽しく“抗う”ため、もしくはそれに疲れた心を休めるための「馬鹿騒ぎ」に
 シフトしてみませんか。
同じ騒ぐなら、その方が気持ちもスッキリするはずです。
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